2013/06/12

所詮は思い込みと自己満足でございます。「オーディオの作法」

高品位オーディオ用USBケーブルの音の違いも分からぬヘボ耳、珠音希でございます。皆さん、こんばんは。

しかし、本当に私の耳がヘボいのでしょうか。本当にUSBケーブルなんかで音が変わるもんでしょうか。
だってデジタルだよ? デジタル信号って0/1だよ?

そんなことをブツブツ言ってたら、家人が本を買ってくれました。




「オーディオの作法」。著者は、その筋ではとても有名な麻倉怜士氏。
麻倉氏といえば、ブックシェルフ型スピーカーを本棚の中に置く場合、雑誌よりもレコードを入れた方が音が良くなる、『レコードだから音が良くなるのは、不思議というか当然というか…。』と仰る御仁。
USBケーブルの本でも、音の感情的な側面がうんたらと香ばしいことを仰っていらした。本書の中でも『音がまろやか』を連発していらっしゃる。


さて、読み終えての感想ですが、オーディオというのは、思い込みと自己暗示なんだなぁ…と、まぁ、そういうことでございます。評論家諸氏は故意犯でしょう。多分。



家人的には、CDは必ず「2度がけ」する、がツボに嵌ったらしい。


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有名なCD2度がけ作法は、136ページに載ってございます。
改めて説明する必要もないのかもしれませんが、一応、念のため。

CDプレーヤにCDをセットして、一度読み込み、イジェクトボタンを押して取り出し、再度CDをセットして再生するだけで、『音質は誰にでも分かるハッキリと向上します』

工エェェ(´д`)ェェエ工
早よ言えや! ちょっと、今からCD全部取り込み直す。
なんてことは致しません。ここは華麗にスルーしておきましょう。



続いて79ページ。
『音が進む速さは、低域・中域・高域によって異なるので、マルチウェイスピーカーの設計には、高度な技術が要求されます』
なぜなら、『リスナーに届くタイミングがずれてしまったり』するからだそうです。
工エェェ(´д`)ェェエ工

例えば、反応の早いツィーターと反応の遅いウーハーがあったとして、それらを同時に鳴らすのが難しい、ということなら理解できます。でも、音の進む速さですか。

周波数によって音の速度が異なるというのは、初めて聞きました。
ちょっとググってみたら、音速V=331.5+0.6T(T:絶対温度)
音速は温度に依存し、周波数には依存しない。

そもそもオーディオというのは、「生の演奏を追体験するための道具」であると氏は定義していらっしゃったやーん。
コンサートホールで聴く本物のオーケストラも、低域・中域・高域の楽器は同じ時間軸に沿って音を発するでしょう。さらに言えば、反響などの遅れて届く間接音も含めての生の音ではないのか。
リスナーに届く時に位相がずれないよう、楽器によって音を出すタイミングを変えるとか、そんな話、勿論私は聞いたことがありませぬ。
まさに、( ゚Д( ゚Д( ゚Д( ゚Д゚)ジェットストリームポカーン…でござんす。


* * * * * * *


冒頭の、そもそもデジタル信号って0/1だよ? アナログじゃあるまいし、ケーブルで音が変わるとか、そんな訳ないだろう。という疑問には、それなりに明快な説明がありました。116ページでございます。

それはデータの欠損である、と。なるほど。
エラー補正の仕方で音は変わるかもしれない。それなら、CDプレーヤによって音が変わるというのも、理解できないでもない。
USBを含むケーブルを信号が通る際に、磁気の干渉みたいなものでデータ欠損が起こるかもしれない。高品位のケーブルならデータ欠損が少なく、音が損なわれないかもしれない。かなり怪しいけど、まぁ、そうかもしれないわね。聴き分け可能かどうかは分かりませんが。


ところが、そんな私の好意的解釈を木っ端微塵にする記述がありました。248ページ、知っておくべきメディアの新展開「ガラスCD」の項でございます。

通常のポリカーボネートとは比べものにならないほど光の屈折が少ない超精密光学強化ガラスを保護層に使用したガラスCDは『音の鮮度が違う、音の深みが違う。しなやかさ、レンジ感から解像度まで、もう何から何まで別次元の音』なんだそうです。なんと。

『面白いのは、通常のCDと比べてエラーの発生率などはほとんど変わらないといいます。』
( ゚∀゚)エ?

『読み取り信号の「質」そのものが違うということになる。』( ゚∀゚)エ?

デジタルデータの「質」の違いって何ですか。
キラキラしてるけどちょっと刺々しい「010010」とか、耳当たりの柔らかいまろやかな「010010」があるんですか。

『それによって、圧倒的なまでの音質差が生じるわけです。』もういいよ、もう。


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まぁ、音楽というのは所詮、感性のものですから。周波数特性のグラフなんか見せられても、好き嫌いの判断なんてできませぬ。
思い込み上等。高いものを買えば、それで心が満たされていれば、良い音にも聴こえましょう。そうじゃないとつまんない。
欲しいけど手が届かない。でもいつかはきっと…。恋愛と同じ。夢・憧れがあるから楽しいのでしょう。
コンピュータのようにスペックと理論だけで割り切ってしまうのは、味気ない。それは無粋というものでございます。


Appleのジョナサン・アイブ卿はかつて、つまらないベージュ色の箱ばかり作らされ続ける毎日に耐えられず、会社を辞める寸前だったところ、ジョブスが電撃的に復帰してからは「製品の感情的な側面」を理解する経営者の下で働けることにとても満足したとか。

ランボルギーニは勿論クルマですが、あれは宝飾品、あるいは調度品なのです。クルマに性能だけではなく、美しさ、エレガントさをも求める人向けなのです。だから無意味に複雑でカッコいい。芸術品ですから。

良いと思えば良い。好きなものは好き。それでよいのかもしれませぬ。
オカルトだってプラシーボだって、それも含めて楽しめるなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
でも、そこに理屈を重ねられるとね、ちょっと噛み付きたくなるよね。

私は、この人の仰っていることは信用しません。

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